11.28.12:57
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02.13.13:13
13日の金曜日、だから何?
さて、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、本日は13日の金曜日です。
私としては、だからどうしたという感じなんですが…
いますよね、必ず一人はこの話題を出す人間が周りに。
案の定、その人間が家族内にいました。私の妹なんですが、これが馬鹿で…(苦笑
昨日のこと。
『明日、13日の金曜日だよねぇ。知ってた?その日良いことがあった人は死ぬんだって。』
と言われた私。
『???』
何のことを言われているのかさっぱりでしたね、あれは。後々聞けば、ジェイソンやフレディの話を友人から聞いたらしくて、真に受けていたのかいなかったのかはよくわかりませんが…
妹よ、お前は一体何歳だ、という感じです(苦笑
私は、映画「13日の金曜日」を一度もしっかりと見たことがないのですが、良いことがあった人が殺されるんですか、あれ。
何かが違う気がします(苦笑
それより、あの映画は何作あるんですか、10作ぐらいあるんですよね。ジェイソンって何者なんですか、不死身ですか。
にしても、13日の金曜日。
あたかも珍しいように言われますが、実際そんな珍しい現象ではないんですよね。
ということで調べてみました、皆の友達「Wikipedia」で(え??)。
『13日の金曜日は、英語圏の多くとドイツ、フランスなどの迷信において不吉とされる日である。忌み数13と関係がある。
なお、現在多くの国で用いられているグレゴリオ暦では、1 年の間に必ず 1 日以上、13 日の金曜日が現れる(第 1 日が日曜日である月にある)。またグレゴリオ暦の置閏法は 400 年を周期とし、400 年間の日数14 万6097 日はちょうど 2 万0871 週なので、400年で同じ曜日のパターンが繰り返される。そのパターンでは、13 日の曜日の中で最も多いのは金曜日である。』(Wikipediaより引用)
ということらしいです。ちなみに今年は3回ありますね、今月と来月、11月に。
ちなみに忌み数(いみかず)とは、神聖視したり、忌み嫌ったりする数のこと。Wikiの言葉を借りれば、社会において迷信により忌避される数、です。日本で言えば、4,9,42,49(下二桁が42,49となる自動車用ナンバープレートは、希望があった場合と在日米軍向けを除き、交付されないそうです)などがありますね。
オーメンの666(新約聖書の「ヨハネの黙示録」に『ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くが良い。その数字とは、人間をさす者である。そして、その数字は666である。(13章18節)』と記されていることから)や、中国でも忌み数はあるようですが、中でも少々面白い物を見つけました。
『イタリアでは 17 が忌み数とされる。17をローマ数字で書くと XVII となり、これを並び替えると VIXI となる。これはラテン語で「私は生きた」という意味で、転じて「私の人生は終わった」、すなわち死という意味になるからである。
13 と同様に、建物の階や部屋番号などにおいて飛ばされることがある。その他、イタリアの航空会社アリタリア航空の航空機には客席に 17 列が存在しない。フランスの自動車会社ルノーは、R17 という車種を、イタリア向けには R177 として販売している。』(Wikipediaより)
おいおい、という感じですよね。わざわざ並び替える必要があったのか、という突っ込みが(苦笑
世の迷信なんてこんな物なんですよね、所詮は。
13の意味(忌み?)もいろいろあるのですが、そこまでここで述べると長くなるので省きますね。
まぁ、Wiki以外にもいろいろ忌み数はあるので、調べてみると面白いですね。
話はそれましたが、ではなぜそんなに13日の金曜日は嫌がられているのか、引き続きWikiより引用させていただきます。
『「イエス・キリストが磔刑につけられたのが 13 日の金曜日とされ、キリスト教徒は忌むべき日であると考えている。」という俗説があるが、正しくない。キリスト教では主の受難日を金曜日としているが、その日付は定めていない。共観福音書からはその日は 15 日と読め、ヨハネによる福音書からは 14 日と読めるが、キリスト教の各派ともその日を確定していない。なお、当時はローマの暦とユダヤの陰暦が併用されており、福音書の日付は陰暦である。
Wikiも間違っていることがあるらしいので、これを鵜呑みにして良いのかはわかりませんが、迷信の起源が有耶無耶なのと同じようなものなんですかね。
何にしても、なんでこんなことを調べてしまったんでしょうね、私。
まぁいいじゃないですか、これでまた一つ知識が増えましたね、皆さんっ!
いらねぇよ雑学なんて、という苦情は受け付けませんので悪しからず(笑
けれど為になったと思いませんか、少しだけ(苦笑
これでも結構時間を割きましたからね、電子辞書を横に置き、Wikiで検索し… って、ほとんど自分では何もやっていないに等しいですね。指と目は使ったのでお許しください。
歴史的、宗教的な事柄が多々出てきましたが、説明を入れるとさらに長くなるのでやめておきます。申し訳ありませんが、気になった方はご自分でお調べください、その方が勉強になりますしね。
え?面倒臭い訳ではないですよ、決して、断じて。少しでも短く終わらせようと言う私の良心ですから(とか何とか、口からデマカセ言ってますね、こいつ)。
ではではこの辺で、本日の雑学(なんて言うコーナーは作っていませんが)は終わりにします。
お付き合いくださりありがとうございました。しっかり目を休めてくださいね(笑
(投稿時間でくだらないことをしてみました。お気づきになられましたか?)
私としては、だからどうしたという感じなんですが…
いますよね、必ず一人はこの話題を出す人間が周りに。
案の定、その人間が家族内にいました。私の妹なんですが、これが馬鹿で…(苦笑
昨日のこと。
『明日、13日の金曜日だよねぇ。知ってた?その日良いことがあった人は死ぬんだって。』
と言われた私。
『???』
何のことを言われているのかさっぱりでしたね、あれは。後々聞けば、ジェイソンやフレディの話を友人から聞いたらしくて、真に受けていたのかいなかったのかはよくわかりませんが…
妹よ、お前は一体何歳だ、という感じです(苦笑
私は、映画「13日の金曜日」を一度もしっかりと見たことがないのですが、良いことがあった人が殺されるんですか、あれ。
何かが違う気がします(苦笑
それより、あの映画は何作あるんですか、10作ぐらいあるんですよね。ジェイソンって何者なんですか、不死身ですか。
にしても、13日の金曜日。
あたかも珍しいように言われますが、実際そんな珍しい現象ではないんですよね。
ということで調べてみました、皆の友達「Wikipedia」で(え??)。
『13日の金曜日は、英語圏の多くとドイツ、フランスなどの迷信において不吉とされる日である。忌み数13と関係がある。
なお、現在多くの国で用いられているグレゴリオ暦では、1 年の間に必ず 1 日以上、13 日の金曜日が現れる(第 1 日が日曜日である月にある)。またグレゴリオ暦の置閏法は 400 年を周期とし、400 年間の日数14 万6097 日はちょうど 2 万0871 週なので、400年で同じ曜日のパターンが繰り返される。そのパターンでは、13 日の曜日の中で最も多いのは金曜日である。』(Wikipediaより引用)
ということらしいです。ちなみに今年は3回ありますね、今月と来月、11月に。
ちなみに忌み数(いみかず)とは、神聖視したり、忌み嫌ったりする数のこと。Wikiの言葉を借りれば、社会において迷信により忌避される数、です。日本で言えば、4,9,42,49(下二桁が42,49となる自動車用ナンバープレートは、希望があった場合と在日米軍向けを除き、交付されないそうです)などがありますね。
オーメンの666(新約聖書の「ヨハネの黙示録」に『ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くが良い。その数字とは、人間をさす者である。そして、その数字は666である。(13章18節)』と記されていることから)や、中国でも忌み数はあるようですが、中でも少々面白い物を見つけました。
『イタリアでは 17 が忌み数とされる。17をローマ数字で書くと XVII となり、これを並び替えると VIXI となる。これはラテン語で「私は生きた」という意味で、転じて「私の人生は終わった」、すなわち死という意味になるからである。
13 と同様に、建物の階や部屋番号などにおいて飛ばされることがある。その他、イタリアの航空会社アリタリア航空の航空機には客席に 17 列が存在しない。フランスの自動車会社ルノーは、R17 という車種を、イタリア向けには R177 として販売している。』(Wikipediaより)
おいおい、という感じですよね。わざわざ並び替える必要があったのか、という突っ込みが(苦笑
世の迷信なんてこんな物なんですよね、所詮は。
13の意味(忌み?)もいろいろあるのですが、そこまでここで述べると長くなるので省きますね。
まぁ、Wiki以外にもいろいろ忌み数はあるので、調べてみると面白いですね。
話はそれましたが、ではなぜそんなに13日の金曜日は嫌がられているのか、引き続きWikiより引用させていただきます。
『「イエス・キリストが磔刑につけられたのが 13 日の金曜日とされ、キリスト教徒は忌むべき日であると考えている。」という俗説があるが、正しくない。キリスト教では主の受難日を金曜日としているが、その日付は定めていない。共観福音書からはその日は 15 日と読め、ヨハネによる福音書からは 14 日と読めるが、キリスト教の各派ともその日を確定していない。なお、当時はローマの暦とユダヤの陰暦が併用されており、福音書の日付は陰暦である。
キリスト教の影響が強い国であっても、イタリアで不吉な日は 17 日の金曜日であり、スペイン語圏では 13 日の火曜日が不吉だとされている。13 日の金曜日を不吉とするのは、英語圏とドイツ、フランスなどに限られる。ただしフランスでは宝くじの売り上げが急上昇する、幸運な日でもある。
これらの国で 13 日の金曜日が不吉とされる理由には、いくつもの説があるが、定かでない。13 を不吉な数とするものと、金曜日を不吉とするものが独立して生じ、それらが合体したものであるという説が有力である。13 日の金曜日を不吉とするのは 19 世紀になってからだとする意見もある。
13 日の金曜日に関して、いくつかの説を挙げる。
- キリストの最後の晩餐に 13 人の人がいたことから、13 は不吉な数とされた。また、キリストが金曜日に磔刑に処せられたとされていることから、13 日の金曜日が不吉であるとされるようになった。一説には、イヴによるアダムの誘惑も大洪水からノアが脱出したのもバベルの塔が壊されたのも 13 日の金曜日だと言われるが、聖書にそのような記述はない。
- 北欧神話では 12 人の神が祝宴を催していた時に、13 人目となる招かれざる客ロキが乱入して人気者のバルドルを殺してしまったとされ、キリスト教以前から 13 を不吉な数としており、13 日の金曜日についても伝説を持つ。それは魔女としてキリスト教に追いやられたフリッグが 11 人の魔女と悪魔を招いて毎週金曜日に悪事を企んでいたからだという。なおゲルマン諸語で「金曜日」を表す語は「フリッグの日」に由来する。
- フィリップ4世フランス全土においてテンプル騎士団のメンバーたちを一斉に逮捕したのが、1307年10月13日の金曜日だった。』(Wikipediaより)
Wikiも間違っていることがあるらしいので、これを鵜呑みにして良いのかはわかりませんが、迷信の起源が有耶無耶なのと同じようなものなんですかね。
何にしても、なんでこんなことを調べてしまったんでしょうね、私。
まぁいいじゃないですか、これでまた一つ知識が増えましたね、皆さんっ!
いらねぇよ雑学なんて、という苦情は受け付けませんので悪しからず(笑
けれど為になったと思いませんか、少しだけ(苦笑
これでも結構時間を割きましたからね、電子辞書を横に置き、Wikiで検索し… って、ほとんど自分では何もやっていないに等しいですね。指と目は使ったのでお許しください。
歴史的、宗教的な事柄が多々出てきましたが、説明を入れるとさらに長くなるのでやめておきます。申し訳ありませんが、気になった方はご自分でお調べください、その方が勉強になりますしね。
え?面倒臭い訳ではないですよ、決して、断じて。少しでも短く終わらせようと言う私の良心ですから(とか何とか、口からデマカセ言ってますね、こいつ)。
ではではこの辺で、本日の雑学(なんて言うコーナーは作っていませんが)は終わりにします。
お付き合いくださりありがとうございました。しっかり目を休めてくださいね(笑
(投稿時間でくだらないことをしてみました。お気づきになられましたか?)
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02.11.23:17
なんだかんだ言っても好きなんだから
こんばんは、先ほどまでドラマ『相棒』を見ていました、黒霧です。
右京さんの相棒、亀山くんが旅立って… ん?どのくらい経ちました?(殴
まぁ、数ヶ月経ちましたが、なんだか相棒が生まれないまま今回のシーズンが終わりそうな予感がします(涙
やはり、右京さんの相棒は亀山君でないと…あの二人こそ、相棒の中の相棒ですよね。あの亀さんのお笑いがないとしっくりこないんですよね、相棒。けれどそれは、寺脇さんの役者人生の問題であるのでわがままは言ってられないのですが…
あ、すみません。相棒をご覧になってない方には何のことだかさっぱりですよね。
ところで、ブログパーツと言うものを設置してみました。趣味丸出しなんですよね、これが。
今回の記事の冒頭でもわかるように、私は推理物が大好物でして(笑
日本のものはそこまでではないのですが(ドラマは日本のも見ますけどね、相棒に始まり古畑任三郎だの9係だのおみやさんだの…)、やはり定番のホームズやポワロやルパンや、ドラマで言えばコロンボやモンクなどの外国の推理物が好きなんです。しかも大半が昔の物で(苦笑)、新しい物はあまり読んでいません。けれど、『探偵』とか『事件』とか言う単語には目がいってしまうんですよね、本屋でも。機会があればもう少し手を広げたいと思っているんですけど。
現実で起きてしまっては困ると言えば困るんですが、やはりそういう物が好物の人間としては、何らかの事件に遭遇したいんですよね。あ、被害者側は遠慮させていただきます、交通事故には遭った身なので(笑
こんなことを言うのは、本当の当事者の方々には失礼極まりないのは承知なんですけどね。そして何より、実際は小説より厳しい訳ですから。
だからこそ、小説の世界でとどめておくべきなんですよね。けれど、推理物というのは多くが殺人事件ですからねぇ。シリーズなら、何人が殺されているんだろうな、と思ってしまいますよね。
そういう血腥い趣味なんですよ、どうせ私は。
といっても、このご時世、日本でも一日のうちに何件殺人事件が起きているのやら。その方法もアメリカナイズされてきていますしね。
殺せばすむと思っているのか、何なのか。
罪をばれるのを恐れて、前の罪より重罪である殺人を犯すという事件は後を絶ちませんよね。まぁ、動機が意味不明な物も後を絶ちませんが。ドラマじゃないんだから、自分の未来ぐらいもう少し考えられないんですかね。
子供でも、人を殺したらどうなるかなんてわかっていますよ、普通は(最近はそうとも言えなくなっていますけど)。
殺したいほど憎い相手を作るな、というのは無理でしょう。それは人間ならしょうがないことですから。ただその感情を表現する方法の問題なんですよね。
少しでも赦す心を持てればいいのですが…なんて宗教的なことを言ってもしょうがないことはわかっているんですよ、誰もが。
そしてその憎しみの下で罪を犯している人間ばかりではないというのも現状で。
加害者だけのせいではなく、社会のせいでもあるんでしょうね。そんなに追いつめられた人間、そんなにおかしくなってしまった人間を作ってしまった社会の。
あー、気づけば話が暗い方に脱線してしまいましたね。
まぁ、ブログなんて雑談みたいな物ですから(笑
で、話をもとの戻すんですが、なぜ私の好物の話になっていたかというと…
私は詩を趣味としていて、それを公開している身なんですよね。だからといって、詩集を読みふけっているのか、という訳ではないんですよ。
実際のところ、詩集を読んでいるより、推理小説を読んでいる方が多いし、楽しい訳です。小説も、暗く深刻な物(松本清張あたりは特に)もあるんですが、詩の解釈って難しいんですよね。
国語の授業などでも詩は取り上げられる訳ですが、あのマニュアル的解釈は好きになれませんね、私は。
もっと自由に、個人個人の意見が、解釈があると思うのです。作者が伝えたかったことを読み取るのも必要なんですが、だからといって、個人の解釈が間違った答えだとは思えません。
言葉には、特に日本語は色々な意味を含むことができるから、美しいと言われている訳なんですからね。
まぁ、そういう訳で、詩集を読んでいると色々な解釈が出てきてしまって疲れる訳ですよ、私の場合。けれど、きれいな文章に触れることは、勉強にも癒しにもなるので、やめてしまってはいけないとは思います。
ということで、この記事のタイトルになる訳なんですね(やっとかよ)。
あくまで、小説を書くのではなく読むのが趣味で、詩を書くのも趣味、ということです。
ふぅ、長くなってしまいました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。こんな雑談につきあわせてしまって。
こんな記事がこれから続く…とは思えませんね、さすがに。
三日坊主な私なので、気が向けばこのくらいは書くかもしれませんが、おそらくすぐにネタが尽きることと思います。
なのでご安心ください、すぐに短文になります(笑
あ、ちなみに、ここまで読んでくださった方は私を文系だと思われるでしょうが、私は理系です。
勉強しなくても、国語や英語は数学や物理などよりは点数が良かったんですが、一応理系です(それでも?)
社会は苦手ですし(もういいよ…)、数学は楽しいですし。
ということで、今日はこの辺にしておきましょう。
今日はお休みでしたが、また明日から頑張ってくださいね。今日もお仕事等あった皆様はお疲れさまです。
では、良い夢を、というと浅い夢になりそうなので、ゆっくりお休みを(苦笑
右京さんの相棒、亀山くんが旅立って… ん?どのくらい経ちました?(殴
まぁ、数ヶ月経ちましたが、なんだか相棒が生まれないまま今回のシーズンが終わりそうな予感がします(涙
やはり、右京さんの相棒は亀山君でないと…あの二人こそ、相棒の中の相棒ですよね。あの亀さんのお笑いがないとしっくりこないんですよね、相棒。けれどそれは、寺脇さんの役者人生の問題であるのでわがままは言ってられないのですが…
あ、すみません。相棒をご覧になってない方には何のことだかさっぱりですよね。
ところで、ブログパーツと言うものを設置してみました。趣味丸出しなんですよね、これが。
今回の記事の冒頭でもわかるように、私は推理物が大好物でして(笑
日本のものはそこまでではないのですが(ドラマは日本のも見ますけどね、相棒に始まり古畑任三郎だの9係だのおみやさんだの…)、やはり定番のホームズやポワロやルパンや、ドラマで言えばコロンボやモンクなどの外国の推理物が好きなんです。しかも大半が昔の物で(苦笑)、新しい物はあまり読んでいません。けれど、『探偵』とか『事件』とか言う単語には目がいってしまうんですよね、本屋でも。機会があればもう少し手を広げたいと思っているんですけど。
現実で起きてしまっては困ると言えば困るんですが、やはりそういう物が好物の人間としては、何らかの事件に遭遇したいんですよね。あ、被害者側は遠慮させていただきます、交通事故には遭った身なので(笑
こんなことを言うのは、本当の当事者の方々には失礼極まりないのは承知なんですけどね。そして何より、実際は小説より厳しい訳ですから。
だからこそ、小説の世界でとどめておくべきなんですよね。けれど、推理物というのは多くが殺人事件ですからねぇ。シリーズなら、何人が殺されているんだろうな、と思ってしまいますよね。
そういう血腥い趣味なんですよ、どうせ私は。
といっても、このご時世、日本でも一日のうちに何件殺人事件が起きているのやら。その方法もアメリカナイズされてきていますしね。
殺せばすむと思っているのか、何なのか。
罪をばれるのを恐れて、前の罪より重罪である殺人を犯すという事件は後を絶ちませんよね。まぁ、動機が意味不明な物も後を絶ちませんが。ドラマじゃないんだから、自分の未来ぐらいもう少し考えられないんですかね。
子供でも、人を殺したらどうなるかなんてわかっていますよ、普通は(最近はそうとも言えなくなっていますけど)。
殺したいほど憎い相手を作るな、というのは無理でしょう。それは人間ならしょうがないことですから。ただその感情を表現する方法の問題なんですよね。
少しでも赦す心を持てればいいのですが…なんて宗教的なことを言ってもしょうがないことはわかっているんですよ、誰もが。
そしてその憎しみの下で罪を犯している人間ばかりではないというのも現状で。
加害者だけのせいではなく、社会のせいでもあるんでしょうね。そんなに追いつめられた人間、そんなにおかしくなってしまった人間を作ってしまった社会の。
あー、気づけば話が暗い方に脱線してしまいましたね。
まぁ、ブログなんて雑談みたいな物ですから(笑
で、話をもとの戻すんですが、なぜ私の好物の話になっていたかというと…
私は詩を趣味としていて、それを公開している身なんですよね。だからといって、詩集を読みふけっているのか、という訳ではないんですよ。
実際のところ、詩集を読んでいるより、推理小説を読んでいる方が多いし、楽しい訳です。小説も、暗く深刻な物(松本清張あたりは特に)もあるんですが、詩の解釈って難しいんですよね。
国語の授業などでも詩は取り上げられる訳ですが、あのマニュアル的解釈は好きになれませんね、私は。
もっと自由に、個人個人の意見が、解釈があると思うのです。作者が伝えたかったことを読み取るのも必要なんですが、だからといって、個人の解釈が間違った答えだとは思えません。
言葉には、特に日本語は色々な意味を含むことができるから、美しいと言われている訳なんですからね。
まぁ、そういう訳で、詩集を読んでいると色々な解釈が出てきてしまって疲れる訳ですよ、私の場合。けれど、きれいな文章に触れることは、勉強にも癒しにもなるので、やめてしまってはいけないとは思います。
ということで、この記事のタイトルになる訳なんですね(やっとかよ)。
あくまで、小説を書くのではなく読むのが趣味で、詩を書くのも趣味、ということです。
ふぅ、長くなってしまいました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。こんな雑談につきあわせてしまって。
こんな記事がこれから続く…とは思えませんね、さすがに。
三日坊主な私なので、気が向けばこのくらいは書くかもしれませんが、おそらくすぐにネタが尽きることと思います。
なのでご安心ください、すぐに短文になります(笑
あ、ちなみに、ここまで読んでくださった方は私を文系だと思われるでしょうが、私は理系です。
勉強しなくても、国語や英語は数学や物理などよりは点数が良かったんですが、一応理系です(それでも?)
社会は苦手ですし(もういいよ…)、数学は楽しいですし。
ということで、今日はこの辺にしておきましょう。
今日はお休みでしたが、また明日から頑張ってくださいね。今日もお仕事等あった皆様はお疲れさまです。
では、良い夢を、というと浅い夢になりそうなので、ゆっくりお休みを(苦笑