11.24.18:09
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03.21.23:34
黒部の太陽を見るために、太陽のように輝く男たち
今日はその1夜目。「世紀の難工事」と言われた黒部ダム工事の話です。
単刀直入に感想を言うと、格好良いです。
いえ、安っぽい格好良さではないんです。命をかけて自分の仕事を全うしようとする男たちの格好良さ。死と隣り合わせの状況でも、不安がありながらも自信を持って押し通せる、根性と輝き。仲間が死んでもそこで挫けて終わらせない精神の強さ。泥まみれになっても、びしょ濡れになっても、おそらくその時の輝きは消えなかったのではないでしょうか。
このご時世、あまり出くわすことのない状況ではないでしょうか。そして、今の人間には出すことのできない輝きではないでしょうか。
「黒部川第四発電所建設工事」について、フジテレビ「黒部の太陽」公式HPから引用させていただきます。
昭和30年代、深刻なエネルギー不足に悩まされていた日本を救うため、日本最大、世界でも第四位という貯水量を誇る巨大ダム、黒部川第四発電所に関西電力は着工した。
ダムが建設される黒部川上流は北アルプスの中央、標高1500メートル以上の高地、そこにはフォッサマグナに沿った地質学的にも未知なる地帯、その作業は想像を絶する苦難の連続であった。
今回ドラマで描かれる「大町トンネル」貫通までの苦難の道のりは、「黒四発電所」建設のために必須かつ最大難関事業の一つだった。
「黒四発電所」建設を決定した関西電力は実績のある建設会社に請負を依頼するや、沽券に関わるとばかりに皆話しを受けようとするのだが、いざ見積もりとなると「未知」の黒部川流域相手に算段がつけられずにいた。関西電力は入札方式をやめ、提案した数字を無条件に受けてもらう、「特命」で行くこととする。特命の5社が決定する。
第一工区は間組、第二工区は鹿島建設、第三工区は熊谷組、第四工区は佐藤工業、第五工区は大成建設に請け負ってもらうことに決定、綿密な準備、計画のもと、ついに昭和31年に工事開始、各社が全力でこの大建設事業に向かっていくこととなる。
それぞれの持ち場で誰もが前代未聞の事態と向き合い、苦難の連続に襲われながらも決して逃げることなく「黒四発電所」完成をひたすらに目指した結果、ついに当初の予定、予算を大幅に上回りながら、7年の歳月の末、ついに昭和38年、完成に至る。
戦後、復興を成し遂げ経済成長を計るため、決定的な電力不足問題を解決しようと関西電力が一大ダムの建設を乗り出し、多くの調査員がその前人未踏の黒部川上流に足を踏み入れた。「黒四」の名前が示すように黒部川流域の電力開発はさらに時代をさかのぼる。
黒部川電力が完成するまでには、大正から昭和へという長きにわたる道のりを要したのである。黒部川流域に、柳河原発電所、黒部川第二発電所、第三発電所、黒四発電所、そして新黒三、新黒二の竣工に至るまで、前人未踏の黒部川流域への様々な調査、工事が繰り返され、多くの人々の汗と涙が流された。
そして工事の難関となるのが「破砕帯」と呼ばれるゾーンです。またもや引用です。
北アルプスの中央、標高1500メートル以上の高地となる黒部川の上流は当時まだ前人未踏の地だった。糸魚川から静岡の構造線、フォッサマグナと呼ばれる大断層地帯の存在により黒部川上流には、複雑な断層群が生じていた。破砕帯は、トンネルを掘り進める内にぶつかってしまった、岩盤が非常にもろく崩れやすい一帯を指す。大町ダム工事の最中に破砕帯にぶつかり、さらに北アルプスの中に眠っていた何トンという水が噴き出し、掘削中のトンネル全体がつぶれそうな圧迫を受けた。
当時、このマイナス4度という冷たい水に腰まで浸りながら作業を続けた。どこまで破砕帯が続いているのか誰も予測できず、ただいつか破砕帯を抜ける日が来ることを信じひたすら冷水の中、岩盤が崩れないよう慎重に人力により作業を進めるしかなかった。大町トンネル貫通を断念するしかないのか、という工事中最大の危機となった。
考えられる規模ではありません。
1963年、当時の金額で513億円の莫大な費用と1000万人の人手をかけて作り上げた黒部ダム。
戦後と言うことで、戦争に行かれていた方々も中にはいらっしゃった訳です。戦争で死にかけた方が、工事で死に直面する。
どちらの死の方が恐ろしかったのでしょうか。やはり、人間が狂う戦争の方が恐ろしいでしょうか。それとも、それをも凌ぐのが自然の脅威でしょうか。
ちなみに、「黒部の太陽」について毎日新聞の記事より引用させていただきます。
昨年12月、幻の名作が大阪で40年ぶりにノーカット上映された。戦後復興の電力需要に応えるために造られた黒部川第四発電所、通称「黒四ダム」建設を描いた大作「黒部の太陽」(熊井啓監督、1968年公開)だ。21、22日にはフジテレビ系で2夜連続大型番組「黒部の太陽」が放映され、地元・大町の市役所ではドラマのロケ地をPRするなど観光誘致に力を入れている。その魅力に改めて迫った。【渡辺諒】
原作は1964年、毎日新聞に連載された記録小説「日本人の記録 黒部の太陽」。故木本正次編集委員(当時)が前年完成した黒四ダムの関係者らに取材、執筆した。連載に加筆した単行本が64年に出版され、臨場感あふれる壮大なスケールで話題を呼んだ。
三船敏郎、石原裕次郎さんの二大スターが共演、黒四ダム建設という難工事に挑んだ屈強な男たちの人間ドラマを骨太に演じた。当時の映画界には、他社の映画に自由に出演できない「五社協定」があり、その枠を越えての映画化は世間の耳目を集めた。大町トンネル掘削中の大量出水シーンの迫力は“伝説”となっている。
「この映画は大型スクリーンで見てほしい」(石原裕次郎さん)との遺志からテレビ放映やDVD化されず、オリジナル版(3時間14分)の再上映も封印されていた。しかし、08年は映画公開から40年、黒四ダムトンネル開通50年、毎日新聞大阪発刊120年の節目の年であり、上映が実現した。
ドラマはフジテレビ開局50周年を記念するもので、黒四ダム建設の中でも最大の難工事と言われた大町トンネル工事にスポットを当て、08年10月から4カ月間、大町市や黒部ダムなどでロケ。もろい土壌で地下水が噴出する破砕帯に真っ向から挑む現場の親方を香取慎吾さんが、関西電力の現場責任者を小林薫さんが演じる。仕事に掛ける情熱と、陰で支える家族の姿も見どころだ。
過去の映画は、ドラマより遥かにスケールが大きく、雰囲気も少々違ったようです。
映画も豪華キャストでしたが、今回のドラマも相当ですね。
こんなに名優ばかりを使っていいのだろうか、と思う程です。
それだけ、映画の方は偉大だと言うことですね。
あまり多くは語らない方が良いでしょう。と言うより、私のボキャブラリーでは表現することができないだけです(苦笑
あ、そういえば、私は大町に行ったことがあります。高校生の頃に勉強合宿で(笑
自然が溢れていて、とても素敵なところでした。晴れていれば星も奇麗ですしね。
ほとんど引用に助けられている私ですが、明日を楽しみにしてこの辺で。
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